ヨーロッパでは、イースター休暇が春に向かう季節の節目であり、この時期に旅行をしたり里帰りをするのが年中行事のようだ。ONHP の Cohort も世界のさまざまなところに散っている。故郷のインドに帰ったり、南アフリカ、ノルウェーへ。スペインの〈サンチアゴ(Sanctus Iacobus 聖ヤコブ)の巡礼〉に出た者もいる。また、米国に一時帰国して一仕事をしてくる者もいる。イギリスや EU では、3月の最後の日曜日に夏時間に変更になる。
私にとっては、英国教会のイースターを Oxford で経験すること自体が今年のイースターの「正しい」過ごし方。ただそこには特有の困難もある。すなわち、college は Hilary Term とTrinity Term との間の休暇に入るため、Chapel の Choir による礼拝は行われない。そんな中、Oxford で幸いなことは、Christ Church の存在。 ここは Chapel Choir を持つ College であると同時に、英国教会オックスフォード教区の Cathedral(主教座聖堂)。当然のこと典礼は全て欠かさず、フルスケールで行われる。キリスト教にとってイースターは最重要な祝日。英国教会がどのようにこの日を祝うのかがここで経験できる。(Christ Church Cathodralの今年の Easter 礼拝は https://www.youtube.com/watch?v=ixpWPq7a7qM で見ることができる。)
カトリック教会においては様々な秘跡(サクラメント)に関わる典礼が中心であり、長老派教会においては礼拝における説教が中心であり、多くの福音派教会において信徒の集いが中心であるとすると、英国教会の中心は Choral Evensong 。聖歌隊による典礼文の歌唱・詩篇唱・アンセムと呼ばれる礼拝音楽、そして聖書朗読と祈り。これらによって構成される60分ほどの礼拝が信仰の規範的スタイル。会衆が歌う聖歌が2曲ほど。教会歴上の祝日には、聖書朗読も聖歌隊による歌で行われることがある(聖金曜日の礼拝では、聖歌隊員のレチタティーボで、福音書の受難物語が30分かけて歌われた)。説教があるときも説教がない時も。そして何よりも大切なことは、これは英国教会の日課であということ。主教座聖堂や Oxford や Cambridge の College では、原則 Evensong は毎日行われている。ただし上記のように、college では学期期間中のみ。また週に2回ほど音楽のない said の Evensong もある。Choral Evensong ではフルスケールのクワイヤ(30名ほど)が毎回異なるレパートリーを(例えばミサ曲全部プラス アンセム1曲)を歌う。もちろんパイプオルガンの前奏・後奏つき。当然毎日リハーサルをしている(クワイヤスカラーと言われる彼女ら彼らは、いつ大学生としての勉強をしているのか???)。BBCラジオの最長番組の一つである Choral Evensong(1926 年より放送:現在は Radio 3 ) は、毎週水曜日に英国全土の Cathedral や college を訪問し、Choral Evensong を放送している [https://www.bbc.co.uk/programmes/b006tp7r ] 。
英国教会は音楽によって礼拝をする宗教である。もし、英国の政界・財界・民間そして非営利セクターのリーダーの主要な人たちが Oxford 大学もしくは Cambridge 大学の卒業生であるとしたら、彼女/彼らは、その個人の宗教的帰属に関わらず、この Evensong の響くチャペルのある college の中で大学生活を送っていたはずである(新設の college、特に大学院生だけの college にはチャペルのないものもある)。上記 BBC の番組が聴取者の圧倒的なサポートによって継続されていることを考えると、英国の精神的支柱に、この卓越した歌唱力の choir によってのみ継承されることが可能な宗教文化がある。そして反対に、その宗教文化はこの深味と厚味で他の国に伝わってはいない。毎日の Evensong を支えるChoir の伝統が不可欠だから。神学思想によってでもサクラメントによってでもなく、Choir による礼拝によって英国教会は成り立っている。そして、私個人の信仰の核もここにあることに気づいてきた。
私の中で(極めて恣意的に)まとめてみる。ルネッサンス以降の多声音楽は、ポリフォニーに代表されるように、異なるメロディがどのように美しく共存することができるかの研究。クラッシック期は、主旋律への従属がテーマ(ヨーロッパ帝国主義との関係を考えると思想史的に興味深い)。続くフォーレやドビュッシーは新しいハーモニーを模索した。現代の音楽そして社会は多様な表現の共存に苦労している。ルネサンス以降の様々な音楽を歌い続けている英国教会は、これらの感覚とその変遷を礼拝の中で繰り返し表現し続けている。英国教会の理念は「中道 via media 」。これはキョロキョロして真ん中を探るのではなく、異質なものが共存した時に結果として中道に収まるという、民主主義の根幹に近い、ある意味オプティミスティックな考え方(私はこの神学を米国カリフォルニア・バークレイの英国教会系 Episcopal Church の神学校で学んだ)。音楽は、この理念が実現できるものであることを直感させてくれる。Oxford、 Cambridge 両大学が College Chapel とそこでの Evensong を維持している(無意識の)理由もここにあるのではないか。Evensong はキリスト教の礼拝形式であるが、そこでの祈りは常に政治的、文化的、民族的、思想的に inclusive であることを心掛けている。全ての立場の人がこの礼拝には welcome。聖歌隊員も、聖餐式でパンとワインを拝領しにゆく人は半分ほど。礼拝音楽の中に、「裁かない、排除しない、あなたも私も自分らしくいる」という理念が、シンボリックに実現していることを感じる。そしてそれが両大学の学問的な立ち位置であり、研究者・学生はじめ全ての大学構成員に求められている倫理的な立ち位置でもある。ある調査によると、世俗化の進む英国でカテドラルの礼拝に来る人にその目的を尋ねたところ、大多数が「音楽」と答えたとのこと。それで良い。
この Evensong を中心に、典礼があり、神学があり、communion がある。それでいて、極めて伝統的。パームサンデーの礼拝には、イエスがロバに乗ってエルサレムに入城したシンボルとして、教会に向かうプロセッションの先頭には本物のロバ‼️
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