Blog:医療人文学/ONHP 報告 #009 (240131)

Biographyについては、文学の一分野との認識を持つ程度以上に、特別に意識したことはなかった。しかし昨晩 Professor Dame Hermione Lee〈http://www.hermionelee.com 〉による私たちCohortに向けての話を聞く中で、またそれに向けて事前のリーディングをする中で、私の思いに変化があった。それは、他者の人生に向き合う姿勢に関すること。

これまでケア実践者の姿勢として、語り手の「語り」によき聴き手として向き合い、語られた内容を語り手の主観的真実として受け止めることに集中してきた。ケア実践としては、それがその語り手の中のさまざまな分人(dividuals, I-positions)の間のポリフォニーの立ち上がりに意味があるだろうと思っていたから。おそらくそれに間違いはないのだと思う。それゆえ、傾聴がケアにつながると確信している。その意味で「聞き書き」はその流れの最も忠実な営みなのだと思う。しかしそこには、聴き手の個性があり、聴き手は語り手の等心大を掴むことができるのか、という問いがいつも中心にある。心理学的には語り手と聞き手との間の「間主観性」がテーマになる。(富樫公一を勉強中。)それに対して伝記作家は、他者の人生に異なるアプローチを取る。描こうとする対象人物の作品、日記や手紙などの資料、そしてその人を知る証人の語りを精査し、歴史的な状況と伝記作家自身の関心やスタイルを通して、その人物を語る。その緻密さと洞察力こそが問われる。もちろん伝記作家による「aritificial construction」であることは当然の事実としてある。従って、語り手本人の自己理解とは別次元のもの。

ただ果たしてその両者は全く別物のか?Dame Hermioneは長年Presidentを務めたWolfson College, Oxfordに、Oxford Centre for Life-Writing 〈https://oclw.web.ox.ac.uk/home 〉を創設した。ここでは、伝記、自伝だけでなく、さまざまなメディアや形式の記述をLife-Writingとして捉え、それらの意味を総合的に、分野横断的に捉えようとしている。文学、音楽、教育、考古学、歴史、医療人文学、人類学などの専門家が関わっている。特にOCLWが医療人文学と連携して Lives in Medicine〈https://oclw.web.ox.ac.uk/lives-medicine#/ 〉 というプロジェクトを立ち上げ、患者の物語に取り組み、患者理解を深めようとしている。すでに1万件以上の「病の語り」をデータベース化しているとのこと。傾聴という営みを、私の考えている枠組みより広く深く捉えることができる可能性がここにあるような気がする。

Dame Hermioneは、来週の火曜日もセミナーを担当してくれる。Cohortがそれぞれ500文字以内の自伝のピースを持ち寄ってのワークショップ形式の演習。私は、昨晩の講義の最後にDame Hermioneに、患者のLife Review と伝記もしくは自伝といった Life-Writing とはどう関わるのか、という質問をした。次週の演習で、私の質問に答えてくれるとのこと。

ところで、Dame(デイム)というタイトルはただものではない。特に彼女は2003年、2013年、2023年に英文学研究に対する功績で叙勲されており、現在は最高位の GBE (Dame Grand Cross of the Order of the British Empire) に叙勲されている。Oxford大学の中でも、彼女に向けられる敬意が他とは異なるように思える。しかし、我々の小さなサークルに語りかけ、質問やコメントに応じる彼女は極めて素朴。ホームページの写真そのまま。英国の叙勲制度は複雑である。特に、Knightとか Order of the British Empireと表現され、歴史を感じるとともに、その表現に抵抗感もなくはない。

http://www.hermionelee.com

今日は昼に、Queen’s College の昼のオルガンコンサート(無料)に行ってきた。毎日のようにどこかのcollegeで、lunch time organ concert が開かれており、夕刻には Choral Evensong(聖歌隊付きの夕の礼拝)がある。

一つ素人の仮説を考えている。明治期に日本が輸入した西洋音楽は、唱歌に見るように主旋律とハーモニーからなる homophony。古典派音楽とその理論が重視されたためであろう。思想的にも、主と従の構造を持つこの音楽形式が明治政府の教育政策に魅力的であったのだと考える。それに対して、各パートの独自の旋律性を基礎にする polyphony 音楽は、音楽の専門家を除いて、どのように日本に伝わってきたのだろうか(それとも伝わってこなかったのか?)。そこで伊藤の仮説。教会音楽、特にChoir の伝統ない日本にとってオルガン音楽が D.Buxtehude (1637~1707) や J.S.Bach (1685~1750) を演奏する中で、古典派音楽とは異なる音楽文化を伝えたのではないだろうか。そして、第2ヴァチカン公会議以降、教会音楽の伝統がカトリック教会ではなく英国教会の伝統の中で生きているのだとすると、現在、英国教会の Cathedoral や Oxford/Cambridge の Choir School を持つ college での Choral Evensong に浸る中で、明治期日本が思想的に構築しようとした国民性とは異なる alternative な精神文化に触れているのかもしれない。

音楽史を学ぶ機会のなかった素人の妄想である。

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以下、毎回のお願い:バックグラウンド・リサーチが不十分なものも掲載します。限られた体験に基づく主観的な記述が中心となります。引用等はお控えください。また、このブログ記事は、学びの途上の記録であり、それぞれのテーマについて伊藤の最終的な見解でないこともご理解ください。Blogの中では個人名は、原則 First Name で記すことにしました。あくまでも伊藤の経験の呟きであり、相手について記述する意図はありません。

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