Blog:医療人文学/ ONHP 報告 #017 (240323)

月曜日の医療人文学 Tutorial 第4回目のテーマは医療人類学 medical  anthropology。日本では波平恵美子氏の業績を通して知られている。大切にされるのは、エスノグラフィーという方法論。一方で、フィールドワークを通してある地域の文化の枠組みを深く理解し、その文化における西洋医学で捉えきれない人間の健康との関わりを明らかにする。その知識を集積することで、人類の医療文化の広がりを理解してゆこうとする方向性がある。他方、患者・家族(そして医療者)といった当事者個人の経験を深く聞き取ることを通して、意味の深層をその人の生きる文脈に照らして理解してゆこうとする方向性がある。後者については、アーサー・クラインマン『病いの語り:慢性の病いをめぐる臨床人類学』誠信書房、1996年(Arthur Kleinman. The illness narratives: Suffering, healing, and the human condition.1988);アーサー・フランク『傷ついた物語の語り手:身体・病い・倫理』ゆみる出版、2002年(Arther Frank. The wounded storyteller: Body, illness, and ethics. 1995)などに導かれつつ、日本人自身による多くの研究とおしても、優れたエスノグラフィーに触れている。仲間の高多留美氏の『ソーシャルメディアにおける「病いの語り」をめぐるエスノグラフィー』(上智大学実践宗教学研究科博士論文 2023年度)も、この業績の一つ。社会科学・人文科学研究(特にケアに関わる研究)では今後確実に重要性を増してくる方法論。Tutor の Dr Ben Epsteinと私は、医療の教育を受けた人たちが固有の「文化」を共有していることについて議論した。その意味からすると、(チャプレンや)スピリチュアルケア職は、医療の中にいる異文化を担った専門職、ということになる。このような視点は逆に、スピリチュアルケア職が、自らの「文化」に自覚的であることを迫る。以前は、自らの信仰や教義がその「文化」であったかもしれないが、現在特にInterfaithのスピリチュアルケアを考えている段階においては、何がスピリチュアルケア職の「文化」なのかを改めて検討する必要があると考える。

傷ついた物語の語り手: 身体・病い・倫理

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木曜日の講義は、Oxford大学の民族学博物館 Pitts Rivers Museum [https://www.prm.ox.ac.uk ] の館長 Professor Laura Van Broekhoven 。現在直面している最大の課題は、本来は文化の多様性を学ぶ目的の展示が、「社会進化論(文化は野蛮から文明へと進化するという19世紀の西欧中心主義的差別思想につながりやすい)」の視点から理解されてしまうという問題。展示品が、ある文化が野蛮であるとか未開であるとかの考え方を助長してしまう傾向への危機感である。Pitt Rivers Museum は、コロナ禍期間前からの集中的な研究と検討を経て、その最も人気のある展示の一つである南米エクアドルのShuar族の干し首 Tsantsa の展示を取りやめた。検討の過程で、Tsantsa には本来、相手への敬意やその力を畏れる宗教的意味があることなども再確認された。また、展示物に動物が混じっていたり、入手の過程で本来の意味とは異なり武器と交換するために西欧人商人用に作られたものがあったことも明らかになった。検討には、エクアドルの少数民族の代表が不可欠の検討メンバーに加えられ、展示の意味や方法についての議論が交わされた(Van Broekhoven, Laura. “Entangled Entitlements and Shuar Tsantsa (shranken heads)” in Bier, Trish and Katie Stringe Clary. The Routledge Handbook of Museums, Heritage, and Death. 208-227. Routledge, 2023.)。英国内からは、この決断に反対する意見も多く見られた。またアフリカのマサイ族の品を返還するにあたっては、何十年も開催されていなかった諸部族の連合会議を開催してもらい、判断を仰いだりするプロセスもあったという。夕食の席では、民族学の博物館がこのような課題に直面している意味について意見を交換する機会があった。これらは、博物館が直面している「当面の困難」なのではなく、このような議論をすることそして議論の場を提供すること自体が民族学博物館が現代社会に果たすべき役割そのものだ、という話題。近年世界中の民族学博物館が連携をとりながら、植民地主義、西欧中心主義、差別と偏見、多様性などに取り組んでいる。そして私が告げられたのは、色々な意味で「世界最大」の民族学博物館は、大阪府吹田市にある国立民族学博物館だということ。

Home | Pitt Rivers Museum

https://www.prm.ox.ac.uk

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今週で、10週間2学期(Hilary Term & Trinity Term)の The Oxford Next Horizons Programme の前半が終了する(Oxford大学自体の学期は8週間で2週間前に終了している。だが、我々のONHPは10週間。)日曜日からは、イースター休暇。

2024年は3月31日が復活日/イースターPascha 。明日日曜日から土曜日までの1週間がキリスト教典礼にとって最も重要な受難週 Passion Week もしくは聖週 Holy Week 。イースター は年によって移動する。元々は太陰暦で決まるユダヤ教の過越の祭りPascheの金曜日にイエスの十字架刑が執行され、その3日後に復活したとされる。色々な議論を経て、西方教会では「コンプトゥスcomputus paschalis」によってイースターの日が算出されている。

明日3月24日(日)はイエスがユダヤの宗教的中心地エルサレムに入城したことを祝う日曜日Palm Sunday。民衆が棕櫚 Palmの葉を振ってイエスを迎え入れたとされることからこの名前がある。聖木曜日はイエスが弟子の足を洗った、という聖書の記述(ヨハネによる福音書13:5-:17)に従って聖職者が信徒の足を洗う儀式がある。そして、上記に続くヨハネによる福音書 13:34に「あなたがたに新しい戒めmandatum novumを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と記されている。このため歴史的には、為政者が貧困者に施しをする日、とされている。この「新しい戒め mandatum novum」から、この日は Maundy Thursday とも言われる。ちなみに、洗足学園音楽大学の母体である学校法人洗足学園の名称は、プロテスタントクリスチャンであった創設者前田若尾によってこの聖書の記述に基づいて名付けられた。また目黒区の地名「洗足」は洗足学園の高校があったためにつけられたという。「最後の晩餐」もこのタイミングであったはずだが、ユダヤ暦では日没から次の日没までが一日。最後の晩餐は、おそらく日没後金曜日の最初の出来事だと思われる。

そして、金曜日は、イエスが十字架によって処刑される日。そしてイエスは、3日後に復活する。ユダヤ教(旧約聖書)の安息日は土曜日。日曜日は週の初めの普通の日。しかしイエスが復活したことを祝う日として、「主の日」として大切にされるようになり、ローマ帝国がキリスト教を国教としたことにより祈りのための休日となった。

この8日間は、相い対するはずの陰/陽そして悲/喜を、さまざまなシンボルで一気に表現する、ややパラドキシカルな、キリスト教文化表現の大舞台。教会は、イエスの死を以て人類の罪が贖われたとして、悲しみの礼拝をしつつ、この日を Good Friday と呼ぶ。やや斜に構えた理解をすると、西洋思想にリードされた現代社会がグリーフにちゃんと向き合えない根本は、ここにあるようにも思える。「苦しみを経て豊かな実りが来る」といった根深い論理。苦しみや悲しみをそのまま捉えるのでなく、後に訪れる価値でそれらを正当化しようとする、捻れた価値観。

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以下、毎回のお願い:バックグラウンド・リサーチが不十分なものも掲載します。限られた体験に基づく主観的な記述が中心となります。引用等はお控えください。また、このブログ記事は、学びの途上の記録であり、それぞれのテーマについて伊藤の最終的な見解でないこともご理解ください。Blogの中では個人名は、原則 First Name で記すことにしました。あくまでも伊藤の経験の呟きであり、相手について記述する意図はありません。

伊藤高章 t.d.ito@sacra.or.jp

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