Blog:医療人文学/ONHP 報告 #003 (240111)

昨日ONHPにおける私のアカデミック・アドヴァイザーのJohuaが、仲間に紹介するため、Harris Mancheste College HMCのランチに招いてくれた。医学部における医療人文学を担当しているSallyとArielとに引き合わせてくれた。カレッジを去る直前に、もう一人のメンバーであるGinaと会うこともできた。

三人は私の学びに関心を持ってくれ、MHについて多くの話をした。私が理解したのは、彼女らは、医学部のカリキュラムの中に人文学的要素を持ち込もうとしている。そのため学期に何回かの 医学部の上級生を対象に、humanities/professional identitiy sessionsを設けている。私も明日金曜日には、John Radcliffe 病院で行われるセッションに参加する。明日のセッションでは、”Character”がテーマと聞いている。特徴的なのは、患者がセッションに招かれて、患者の視点からディスカッションに参加するとのこと。関わりを通して、医学部教育におけるMHについて、理解を深めることができそうに思う。

日本にMHが導入されてこなかった理由を考えてみた。単なる想像の域を出ないが、おそらく、日本の医療に根強い医師の特権意識に関係しているのではないか。医師は、医師以外が医療について発言することを嫌う、という印象がある。患者に向けての医師のあり方や医学教育に、人文学者が関わることが考えにくいのかも知れない。しかしそれが、患者の立場から遠ざかる医療を生み出すのではないか。反対に、英国でMHが広がった背景には、人文学的関心を持つ医師の存在が考えられる。これは、高等教育全体の仕組みにも関係する。少なくともここOxfordでは、学問が交錯している。それぞれの学問研究が、脳神経のように様々な領域に結びついている。学生もそのようなごちゃごちゃした知の大海を泳ぎながら自分の学びを深めている。人文学や社会科学に造詣の深い医療者が、初めから育つ環境のように思う。そこにはMHが生まれる必然性があるようにも思う。

Joshuaは、私の、日本にMedical Humaniteisカリキュラムを持ち込みたいという思いに関心を向けてくれている。医学部教育に何ができるかは未知数だが、少なくとも聖路加の授業に貢献できるだろう。また、先日来「信仰を持つ医療者の連帯のための会」並びに 救世軍清瀬病院土居院長との話で話題になっている、日本の医療にチャプレンを導入できるか、という話題にも貢献できるように思う。Erica が中心となってくれているTutorialsでは、MHの諸領域についての学問的アプローチが学べるだろう。そしてJoshuaが招いてくれている、Gina, Sally, Ariel との交わりの中では、それらが臨床的にどのようにも強いられているのかを体感することができるように思う。この臨床的な関わりの中で、チャプレンがどのような役割を果たしているのかも、独自な関心として深めてゆきたい。

帰宅してみると、Arielが私をDr. Bill Fullfordに紹介するメールを送ってくれていた。Dr. Fullfordは、St. Chatherine’s College に設置されているThe Collaborating Centre for Values-based Practice in Health and Social Careの創設者。私の枠組みでいうところのTeam Bについて研究している研究所のように思う。日本の医師の中にもこの研究所に関わっておられる方がいるようなので、連絡をとってみたい。

Sallyとは、その後コーヒーを飲みながら話をすることができた。彼女は精神科医療の歴史を専門に研究している。英国では、精神科医は人文学的なアプローチに最も理解のある人たちだという。落ち着いて考えてみると、Bio-medicineを中心とする診断型の医療が難しい精神科領域にとって、人文学的なアプローチとの親和性が高いことが理解できる。しかし日本の状況を考えると、精神科は帰って近づきがたい感じがある。英国では、MHにとって精神科医療が入口のような役割を果たしている印象を受ける。

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Tutorial Session については、4 セッション分のtutorと連絡をとっている。

Ericaとの最初のセッションは、概論。Dr ChoとDr Kimも参加してくれる。テーマは Should the Medical Humanities challenge, support, or be independent of medicine? (Optional subsidiary question: How would a medical humanities-approach to epidemics shape the way such a phenomenon is recorded and interpreted?) 。まずは、取り組んできているTeamOncology ABC と人称構造の枠組みが、Oxfordで通用するのかを試してみる機会かと思う。

第2セッションは、神学者Andrewと。予めこちらからメールを出して、英国の皆保険制度であるNational Health Service が設置している NHS Chaplain について考えたいと伝え、同意が得られた。Andrewは、NHS Chaplain 制度が伝統的諸宗教の背景を持つチャプレンだけでなく、Humanist Chaplainsが導入されてきたことに注目し、Discussion Topicを提示してきた:Do you agree with van Dijk’s assessment that there are no definitive answers to the “existential questions” posed by patients in relation to their illnesses and attending suffering? Why or why not? Note that the question I am posing is different than the one of whether definitive answers ought to ever be offered to patients by chaplains, but you are welcome to reflect on this latter question as well. 今の所、キリスト教神学者のAndrewとのディスカッションの入り口は、「キリストの受難」は(伝統的なカトリック神学的理解のいうような)救済の手段なのではなく、人生そのもののリアリティだという理解から、患者個々の苦悩への向き合いを支えるスピリチュアルケアの視点がら準備をしたいと思う。「一切皆苦」の視点も取り込みたい。またImago Deiとしての患者、また、塗油の秘跡によって病者こそが教師に任命されるというイメジから、答えや意味を生み出すのは患者の側であり、ケア者は患者から学ぶ者という議論もできるように思う。Joshuaは、NHS Chaplain の制度を作った側にいるようなので、制度そのものについては、Joshuaと話してゆきたい。

第3セッションは、医療哲学。Alberto とのトピックは:How can the concept of immunity shape our understanding of the relationship between individual and public health?  # 002に書いたように、Esposito の Immunity 概念の社会的意味合いに注目するわけだが、Alberto の示してくれた文献の一つが医療的に見た免疫学の展開について。昨日 Sallyとも話したのだが、免疫についての古い考え方は防衛機能。しかし、vaccination によって予防免疫力が付くためには、体が抗原と共存することが前提。だとしたら、Immunity System 自体が純粋な排他機能とは言えず、むしろ人間の変化を受け入れているという考え方の変化があるという。このことを考慮して、Esposito 理解を深める必要がある。また、Alberto の言う individual が0人称として公衆衛生の対象である個人なのか、もしくは1人称としてvaccinationを受けるかどうかの自己決定権持つする個人なのか、分けて議論する必要があるように思う。

第4セッションは、医療人類学。Ben からの連絡は受けていないが、昨日朝、こちらから連絡を入れた。日本をフィールドとする災害時のEthnographyの研究者。東日本大震災を研究テーマとしている。昨日、Benに、能登半島地震について話をしたい、と面会のリクエストを入れた。今、返信を待っているところ。

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この10日間の印象は、興味深いことがありすぎ。何年もの私の学術的・実践的関心が全面的に刺激されている感じがする。Overwhelmed!

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以下、毎回のお願い:バックグラウンド・リサーチが不十分なものも掲載します。限られた体験に基づく主観的な記述が中心となります。引用等はお控えください。また、このブログ記事は、学びの途上の記録であり、それぞれのテーマについて伊藤の最終的な見解でないこともご理解ください。Blogの中では個人名は、原則 First Name で記すことにしました。あくまでも伊藤の経験の呟きであり、相手について記述する意図はありません。

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